胸にいつの日にも輝くあなたがいるから

サクラ舞う・・

本日の一枚
別にこれが最後では無いのは分かってる。
それでも別れは・・・寂しく、切ない。
新たな門出を祝うかの様に、校門で桜が微笑む。

今日は中学校の離任式に行って来ました。


昼夜逆転の俺は、朝9時に学校へ行くという荒行が出来るはずも無く、結局寝ずに学校へ。
もう高校は始まってるから、うちの学年は俺だけだろーなーとか想ってたんですが、なんか結構来てました。
入学式だから休みだったらしい。
男4人、女7人の計11人。妙に多っ。
離任式は9時半からで、30分前に到着したので職員室に挨拶へ。
先生と喋りつつ、友達とプロレス(ぁ
久々のスタナーは気持ちよかった 照


んで離任式。
離任する先生は5人。
そのうちの3人が、俺が3年間めっちゃ世話になった先生でした。
一人は、1年の時の担任であり、3年間音楽担任をやってきたS田先生@女
一人は、3年間国語担任で、学校の誰よりも優しく天然ボケ炸裂のM井先生@女
一人は、3年の時の担任であり体育担任で、3年間野球部の顧問として指導してもらったS井先生@男


校長、PTA会長、来賓の言葉が続き、離任する先生方の最後のスピーチ。
M井先生は、新高1の担任(ていうか妹の担任)だった。
「卒業生を見送り、気持ちよく離任する事が出来る」と笑顔で挨拶していた。


S田先生は、新中3の担任をしていて、まだ着任してきて5年しか経ってない。
けど離任が決定し「とても残念です。正直、もう1年居たかった・・」と号泣していた。
(※ちなみに、中学教師の赴任期間は7年と決まってます。)


そして、俺が中学生活で何から何まで世話になった、S井先生。
S井先生も新中3の担任をしていて、今年で赴任7年が経っていた。
しかし先生方のご厚意で、もう1年勤務し、3年生を卒業させてから離任することになっていた。
が、春休み中、急に離任が決定したのだ。
しかも新たな職場は学校ではなく、神奈川県のスポーツ関係会社の事務員。
「受け持っていたクラスの生徒たちを卒業まで見届ける事が出来ず、さらに教師という現場からも離れる事になり、非常に残念です。
本当に急な事で、春休みに入る時までは、3年生と過ごせる残り1年間を色々と思い描いてました。修学旅行も一緒に行きたかったです。
3年生には、いつもとてもきつい怒り方をしてきたと想います。
でも皆を嫌いなわけじゃなく、大好きなんです。
僕は愛情表現とか苦手なんで、怒ることで示していました。
本当に、生徒たちを心から愛しています。
僕には、野球しかありません。
学生時代も教師になっても、ずっと野球に打ち込んできました。
野球部の顧問として、部員の皆と県大会出場を目指しがんばってきました。
皆必死にがんばりましたが、県大会どころか中地区大会にも出場が叶いませんでした。
でも、この夢はM川先生(野球部顧問)が受け継ぎ、必ず成し遂げてくれると信じています。
野球部の皆、その他の部活をやってる皆も、がむしゃらに努力すれば、もし夢が叶わなくても、絶対に後悔はしないはずです。
何かに一生懸命になれるのは、誇れる事だと思います。
皆、自分に誇りを持ってがんばってください。」
S井先生、めっちゃ泣いてました。
俺も普通に泣いちゃいました。
隣りに友達居て恥ずかしかったんですけど、溢れる感情を抑え切れなかった。
先生は大好きな学校、生徒、さらには野球からも離れてしまう。
残酷すぎる。


そして離任式が終わり、校門の所で友達とかと駄弁りつつ先生を出待ち。
先生方や父兄の方たちへの挨拶が終わり、正面玄関からでてくる。
桜の木下で記念撮影。
先生たちは駐車場へ行き、それぞれ車で校門をでていく。
S田先生・・・次にM井先生・・・


最後にS井先生。
俺らが手を振ってると、車の窓を空けて一言。
「松田ァ!がんばれよ!!」
10人以上が見送る中俺に、俺だけに、最高の笑顔で言葉を掛けてくれた。
俺は涙ぐみながら、野球部時代を思い出し
「ありがとうございました!」と精一杯答えた。


本当に、ありがとうございました。